
Photo:H.Hamaguchi
野球への挫折から一転、事業への転身
甲子園で優勝したこともある野球の名門・静岡県立韮山高校の野球部に入部し、 速球派の右腕エースとして注目され始めていた高校2年のある日、右腕が関節炎になり、 医者から「野球はもうムリだ」と宣告されてしまったんです。高校を卒業したら、 必ず日本一のプロ野球選手になると堅く心に決めていましたからね。
当時の私にとっては野球だけが人生でしたから、その思いが一瞬にして消えてしまい、 どうやって行ったのかも覚えていないのですが、自殺の名所で知られる熱海の錦ヶ浦をふらふらと歩いていました。 そうしたら、その地区の管理人に呼び止められたんです。そして、「野球がダメなら日本一の金持ちになれ」といわれて、 その「日本一」という言葉にハッと目を覚ましたんです。
おそらくその人は管理人でもありますし、身投げでもされたら大変と思い、私が「日本一の野球選手になりたかった」というのを聞いて、とっさに「日本一の金持ち」といったんでしょう。でも、私は「なるほど別の世界もあるんだ」と、気持ちを切り替えることができたんです。
ただ、日本一の金持ちになるといっても、事業を始めるには元手が必要です。私の家は両親が学校の先生で、母は学校の前で文房具店もやっていましたが、事業を始めるお金なんてないわけです。
で、まずは日銭を稼ぐ商売をしなければならないということで、義理の兄が経営していた、トラック運転手などを相手にした食堂を譲ってもらったんです。最初の挫折から1年後の高校3年のときでしたね。
「信念」の種子は挫折から生まれる
ところが、高校卒業後、バイパス道路の開通で客は激減し、食堂はあっけなく廃業に追い込まれる。
次に手掛けたアイスキャンデーの製造・販売会社も、事業がようやく軌道に乗り始めた矢先、
なけなしの工場を火災で失ってしまう。
火災保険を掛けていなかったため、事業の継続は不可能となった。都合3度目の挫折である。
明確な「目標」と強靭な「信念」があれば挫折は乗り越えられます。 カッコよくいえば「志」ということになりますが、要するに100%「意地」ですよ。 「意地」といっても言い方を変えれば「執念」です。
そこで潰れてしまえば、その人は終わりです。何とも思わないというのはムリかもしれませんが、 自分はこうなるんだという気概で挑戦していけば必ず道は開けます。

私の場合、アイスキャンデー工場の火災で、一文無しどころか借金まで抱えてしまった。 それでも、日本一の金持ち、すなわち日本一の事業家になるんだという気概だけは失わなかったですね。 そうした気概や意地や執念の原点である野球の挫折の大きさを思えば、その後の挫折や挑戦などものの数ではなかったということです。
だから、強烈な原体験となるような挫折はむしろあった方がいい。 私の場合でいえば、資産家の子供でもない田舎の青年が世に出る方法は野球しかなかった。 そのたった一つの道を閉ざされたことが、「日本一の商売人」を目指す原動力になったわけです。
工場は焼けてしまったものの、幸いアイスキャンデーを運んでいたオート3輪はすべて無事だった。 これをフル稼働させて人海戦術で石炭殻を運ぶ――。カネを作るにはこれしかないと思いましたね(笑)。
このアイデアは、石炭殻で宅地を造成して儲けている人の記事を新聞で読んだことがきっかけでした。タダで石炭殻をもらい、それを売るわけですから、これは儲かると思い、つてをたどって富士写真フイルムの工場長に掛け合おうと上京しました。