社会に認められない事業は発展しない

レストラン以外で店舗を活用する方法はないかということで、当時、ボチボチ現れ始めていたカラオケチェーン店に 目をつけたわけです。カラオケ事業についても、もし家賃の問題がなければ、何もすることなく撤収していたでしょうね。 だからこれもまた「それしかない」ということだったわけで、家賃を払えて、かつ、一番儲かるものといえば、 カラオケしかなかったんですよ。

ただ、カラオケ事業には当時はまだグレーっぽい印象がありましたから、まともな事業として世間にどう認知してもらうかが 大変でした。警察が快く思わないビジネスをやっても成功しない、という意見もありましたから、カラオケルームの部屋の角度から照明、 窓の大きさに至るまで、徹底的に研究、検討しましたね。警察やPTAなどともどのようにしたらよいかといったことなど 話し合いを重ね、次第に「子供たちが繁華街でヘンなことをするよりもカラオケの方が安心だ」と思っていただけるようになったんです。

とはいっても、当社が株式を公開しようとしたときも、カラオケ事業についての認知が低く、 公開が認められなくなる恐れがあるといわれました。そこで、しかたなく私が個人のカネでカラオケ事業を引き取り、 会社からカラオケ事業を分離する形にして、公開が認められたんです。

幸いなことに、今ではカラオケ事業は健全な事業として世間から認知され、当社でも会社の正式な事業になっています。 その意味でも、ウチのカラオケ業界への貢献度は大きかったんじゃないでしょうか。

要するに、事業とは社会に認められなくてはダメだということです。そして、社会的な認知が低いのであれば、 それを認められるように努力することも必要です。

志太 勤

新事業であるカラオケ事業を成功に導いた志太は、その後、伊豆・修善寺の山中にワイナリーを設立し、 2000年にはレストランや結婚式場を備えた「シャトーT・S」を開設した。 さらに、91年に発足した軟式野球部に続き、93年には硬式野球部を発足させ、チーム結成2年目に社会人野球で 東京ドーム出場を果たし、99年には大阪ドームで行われた社会人野球日本選手権大会で優勝を果たした。 監督に野村克也氏を迎えるなど話題を集めた。

ワインや野球は道楽などといわれていますが、本業と無縁というわけでもないんですよ。

ワイナリーを手掛けたのは、その昔、父がブドウを植え、ワインをつくっていたことを思い出したからなんですが、 野球は私の見果てぬ夢であると同時に、本業である「食」の問題とも大きく関係しているんです。

NHKの教育テレビだったと思うんですが、今の子供たちは骨が弱く、硬式野球をさせられないという報道を目にしたんです。 もちろん野球には関心があるのでちょっと調べてみると、問題は栄養にあること、すなわち現在の子供たちはきちんと栄養を 取っていないことにあることがわかったんです。だとすれば、この状況を改善するのはウチらの仕事ではないか――。こう考えたわけですよ。

そこで、野球選手やコーチ、医者、心理学者などを集めて、アスリート食に関する研究所を設立したんです。 この研究から明らかになったノウハウをウチの野球チームにも生かす、そういう流れになるわけです。 そういう流れではあるんですが、まぁ、野球チームを持ってみたくなかったといえばウソになるでしょうね(笑)。

ある大学の先生からは「アスリート食を研究するなら野球ではなくマラソンがいい」といわれたんですが、 「好きなものでなければ続かない」と思って、結局、野球でやってみることにしたんです。 ただ、世間からあらぬ批判を受けないように、カラオケ事業のときと同じく、事業が軌道に乗るまでは私のポケットマネーで運営していました。

「志」「意地」「執念」がなければ成功はない

志太は今、ベンチャー企業の全国団体である「日本ニュービジネス協議会連合会」の会長を務めるかたわら、 みずからも「志太起業塾」なる起業塾を立ち上げ、老若男女を通じたベンチャー経営者の育成と支援に力を尽くしている。

現在は制度面でも起業がしやすくなっていますが、それだけに安易な起業も増えているように思います。 私らの時代のように地を這うような努力をしなくても、株の公開や上場だけで大金持ちになれる時代です。

経営はゲームだなどという人もいるようですが、今はグローバリゼーションの時代ですから、それを否定してみたところで あまり意味はないでしょうね。私は日本ニュービジネス協議会連合会の会長でもありますし、努力して挫折してまた努力するという、 従来の成功概念は変えなければならないのかもしれません。

そんなもろもろの思いも含めて、私は今は「第二創業の時代」だと思っています。従来あってダメになりかけている仕事、 例えば親がやってきたローテクの仕事を、あっさり潰すのではなく新たな知恵を入れて引き継ぎ、新しい時代のなかで 立派に生かすということです。また、シャッター商店街など、年間25万社も潰れているんですから、 それを再生する方がまったく新しい事業を起こすよりはるかにやりやすいと思うんですがね。

日本ニュービジネス協議会連合会でも、政府にさまざまな経済特区を申請したり、自治体予算のアウトソーシングの振り分けに参画したりと、 地域経済の活性化に向けた働きかけを行っています。地域で商売のチャンスが増えれば、それだけ起業がしやすくなるわけですし、 第二創業にも追い風になるはずですから。

いずれにせよ、大切なのは「志」、すなわち「意地」と「執念」ですよ。(敬称略)

志太 勤志太 勤 (しだ・つとむ)

1934年生まれ。静岡県立韮山高等学校在学中から食堂経営を始め、 59年現シダックスフードサービス(株)の前身となる給食事業の富士食品工業を設立。 その後、カラオケ事業のシダックス・コミュニティー(株)社長など関連会社の社長、会長を務める。 2001年シダックスフードサービス(株)、シダックスコミュニティー(株)の共同完全親会社シダックス(株)を設立し、 会長に就任。その他、日本ニュービジネス協議会連合会会長を務め、志太起業塾などで起業家の支援にも力を入れている。