日産自動車と日野自動車の新車ディーラーでの営業職、ホンダの新車ディーラー代理店経営などを経て、 光岡が光岡自動車を設立したのは79年のこと。「富山の本田宗一郎」の異名を持つ光岡だが、 技術屋だった本田宗一郎に対し、光岡の足跡をたどっていくと、機を見るに敏な商売人としての光岡の姿が浮かび上がってくる。 自動車修理工場から中古車販売、そして自動車メーカーから外車新車ディーラーへ。 独特の車作りばかりがクローズアップされる光岡と同社の歩みにあった商売人としての歩みとは何だったのか――。

もともとはウチは自動車の修理工場をやっていたんですが、修理だけでは仕事にムラがあって、会社の経営はなかなか安定しないんですね。 そこで、中古車をあらかじめ買っておいて、工場がヒマなときにそれらを仕上げるといった、 生産計画を作り経営を安定させたんです。そこでせっかく仕上げた車なんだから並べて売ろうかなということで、 70年に仕上げた中古車を販売するカーショップを出してみたところ、これがえらく儲かりましてね。
その後、富山県内にこうしたカーショップの店舗網を広げていったんですが、これもやがて売れ残りが出るようになって、 頭打ちになっていったんです。そのときは東京の業者が売れ残った中古車を大量に買ってくれたんですが、 このことで「そうか、東京ならまだまだ売れるんだ。それも富山よりずっと高い値段で売れるんだ」とハタと気がつきましてね(笑)。
で、81年東京に店を1つ出したんですが、そうこうするうちに「ここはひとつ、全国の中古車の相場を調べてみよう」ということになりましてね。 北は北海道の旭川から南は九州の長崎まで、2カ月くらいかけて、相場を調べてみたんです。
すると、例えば旭川では、東京で15万円の中古スカイラインが55万円で売られているんですね。 時期的にはちょうど桜の季節だったんですが、長い冬が明けたという心理的解放感によって、車が売れるんですね。 ですから、5月の旭川は売り手市場になっていたんです。この事実には、正直、驚きました。
さっそく札幌に店を出したんですが、今度は「じゃあ沖縄ではどうなんだろう」ということで、 沖縄にも店を出してみたんです。すると、沖縄の桜の季節にあたる2月に、やはり中古車相場が急騰する。 こうして春の時期の全国の相場を改めて調べてみると、やはり桜の季節に相場が上がることが分かったんです。
ということで、富山の工場で仕上げた中古車を12月のうちに沖縄へ送り、以後、桜前線の北上に合わせて次々と車を送り込むという 商売のスタイルができあがりました。沖縄から始まって最後は旭川。いい商売になったんですよ、ホントに(笑)。
中古車の売れ残り、消費税・・・・・・
必要に迫られればアイデアは浮かんでくる
商売のコツというのは、そんな難しい話じゃないんです。一生懸命にやっていって、壁にぶつかったときに、それを乗り越えていくだけといいますか。 例えば、私は新車のディーラーに勤めていたのですが、それを辞めてこの会社を興したのも、「飲ませろ」「食わせろ」「値引きしろ」なんていう商売は やってられないということで、自分で中古車を扱おうと考えただけの話なんですね。
富山から東京に進出した一件も、200台の中古車を用意したら30台も売れ残ってしまい、東京の業者に買ってもらったというのがきっかけだったわけです。 このときは、夜中にこっそりと車を東京に移しました。昼間に移動させると、「やっぱり売れ残ったんだ」と思われてしまいますからね(笑)。
要は「やってみて自分で確かめる」ということなんですよ。それと他人がやるなということはやりたがるというか、他人がやれということはやりたがらないというか……、 私のあまのじゃくな性格も一方にあるのかもしれません(笑)。
その後、主力だった中古車販売から新車の販売へと徐々に形態を変化させ、91年に外車新車ディーラー、94年の自動車メーカー(96年型式認可)を目指していったのも 消費税という新たな壁にぶつかったからです。
諸外国の例を調べたのですが、そこでは消費税が7%以上になると、消費税のかからないユーザー同士の個人取引が主力となり、 中古車販売はやりにくくなるんですね。日本でもいずれ消費税10%の時代が来るという読みがありましたから、 事前に商売のパターンを変えておかなければならないと考えたわけです。とにかく必要に迫られれば、アイデアは浮かんでくるものですよ。
外車の新車ディーラーに乗り出したときにも面白い話がありましてね。 まず、なぜ国産車ではなく外車なのかというと、外車は付加価値が高い、すなわち利幅が大きいということなんです。 実は創業当時(68年)、外車は日本で年間1万台ちょっとくらいしか売れていなかったんです。 しかも、そのおよそ9割はヤナセが扱い、そのまたおよそ9割はドイツ車だったんです。
ところが、このときドイツに行ったのですが、当のドイツでは車のおよそ3割が輸入車、すなわち外車なんですね。 要するに、日本でもいずれは3割くらいの人がさまざまな国の車に乗るようになるのではないかと思ったのです。
ただ、外車はそもそも値段が高い、しかも、日本の場合は、車体の値段に広告代が上乗せされますから、 さらに値段が高くなる、という構図があります。このため、ここ数年、日本における外車の新車販売台数は年間25万台前後で推移してきました。 最高の年でも27万台だったわけですが、それでも1万台から見れば25倍ですからね。
現在、当社の外車新車ディーラーは全国で50店舗ほどありますが、やはり目先の中古車販売では利益はなかなか伸びません。 今後は新車を買ってくれたユーザーをつかまえて、整備やサービスといったアフターケアーでメシを食っていかなければならないと思ってますよ。