工藤 恭孝

82年、工藤はJR三ノ宮駅東口に2号店となるサンパル店を出す。このサンパル店は「専門書ならジュンク堂」という現在のスタイルを決定づけたとされているが、ジュンク堂設立のときと同様、「実際にはそれほどカッコのいい話ではなかった」という。何しろ、三ノ宮駅前といっても、出店するエリアはいわゆる再開発地域で、人通りもきわめて少なく、およそ小売業に向く場所ではなかった。

今でこそそんなことはありませんが、2号店を出した当時の場所は夕方ともなれば客を引く女性が立っているようなところだったんです(笑)。

1号店の専門書のお客さんから「店内に椅子や机を置いてほしい」「一息つける喫茶店を作ってほしい」といった要望がありました。それなら「その要望も取り入れて2号店のこんな場所でもわざわざ専門書を買いにきてくれる大型店にすればいい」と、専門書を天井まで棚いっぱいにぎっしり並べました。

神戸では、大阪まで行かなくてもいいような専門書の大型店をという声があったのは事実ですが、どちらかといえばこんな場所に出店契約をしてしまったのでやむをえずというのが本当です。事実、当初は専門書ではなくコミックをやろうという意見もあったんです。いずれにせよ、出店当初は月商2300万円と散々の売上でしたが、「店の雰囲気がとても好き」「図書館より図書館らしい書店」などといってくださるファンがつき、2年目から売上が急激に伸びて3年目には採算ラインに乗り、震災直前の94年には月商1億円くらいは上がるようになりました。

そもそも2号店は、三ノ宮駅東口の再開発を担当していた私の友人が「書店の誘致を進めてきたがどの書店にも断られてしまった」と嘆くので、家賃が安かったのに引かれてうっかり出店を決めてしまったんです(笑)。あくまでも結果論ですが、それなら倉庫のような専門書の大型店をと考えたのが、現在のジュンク堂のビジネスモデルの雛形になったというわけです。

阪神・淡路大震災をきっかけに全国展開へ

そうして迎えた95年1月17日、記憶に鮮明な阪神・淡路大震災が発生する。この震災によって、1号店の三宮店は全壊、2号店のサンパル店も半壊し、サンパル店名物の天井までの棚はことごとく折れて、本の半分は水浸しになってしまった。地元の大学や新聞社などの応援団からは、「サンパル店を潰したら神戸の恥や」とまでいわれるくらい評価されており、大阪からも客を呼び込んでいたジュンク堂は、またもや新たな試練に見舞われたのである。


三宮店とサンパル店に続き、88年に3号店にあたる京都店、94年に4号店にあたる明石店を出し、これらの大型店4店にほかの中型店などを合わせた震災前の売上合計は年商100億円くらいになっていました。父親もけっこう資産を残してくれていましたし、「これでもうええやんか」と守りに入っていたところに、大震災が起こったんです。「そんなんでええんか」といわれたようで、まさにガツンという感じでしたね。

実際、震災で被害を受けたのは三宮店とサンパル店の主力大型店2店と住吉店、芦屋店の中型店2店です。無事だったのは京都店、明石店の大型店2店と学園店、北町店の中型店2店だけでしたから、どう考えても売上の7割くらいは軽く飛んでしまう計算でした。すぐに大赤字に転落してしまうのは目に見えていましたから、復興を待たずに県外へ出店していくしか生き残る道はないと考えたんです。ところが震災前には5、6億円ほどの預貯金がありましたが、震災後にはたちまち3億円もの債務を抱え込むことになりました。

この阪神・淡路大震災はまた、工藤に別の意味での教訓も与えた。出店計画の見直しが進められる一方、被害を受けた店舗では再開店へ向けた作業が急ピッチで行われた。震災からわずか16日後、ようやくこぎ着けたサンパル店の再開店当日、夜通しモップで床の泥を掃除していた工藤と社員は、自衛隊が瓦礫を片付けている周囲の状況をふと見て、「こんな状況で再開店してもお客さんが来てくれるはずはない」と思ったという。再会作業に夢中で今の今まで気づかなかったのだ。

ところが、いざ店を開けてみると、再開店することを告知していたわけでもないのに、ものすごい数のお客さんなんです。どうして再開店のことを知ったのか、どうやって店までやって来られたのか、今でも不思議でなりません。何しろ電車は不通、バスは1キロ走るのに1時間はかかる状況で、事実、社員たちも2時間、3時間かけて歩いて出社しているような状況でしたから。

さらに驚いたのは、エスカレーターやレジのところで、ほとんどのお客さんが「よく店を開けてくれましたね。ありがとう」とお礼をいってくれたことです。私も社員たちも、このときほど、この商売をやっていてよかったと思ったことはありませんでした。「サンパル店を潰したら神戸の恥や」などと応援をいただいていたことも大きいでしょうが、一方で人間はこんな非常時にも本を求めるものなんだということをしみじみと実感しましたね。